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参考文献

参考にした測量史関係の主な文献を挙げます。これ以外にも数多くの書籍、論文、法令、公文書、初期の「点の記」などを参考にしました。定期刊行物に掲載された論文などは本文のなかに明記しここでは挙げていないものが多くあります。

小説、紀行文など

新田次郎:劔岳 <点の記>  文藝春秋 1977(文庫版1981)

1907年(明治40)陸軍陸地測量部の柴崎芳太郎測量手の率いる測量隊が苦闘の末、北アルプスの劒岳に三等三角点を設置するため命がけで登攀し測量旗を掲げましたが三角点は測標のみで標石は設置できませんでした。当時、陸地測量部あげて初登頂を期待されていましたが頂上で錫杖と鉄剣が発見されすでに古代に登頂されていたことが判ったという実話を題材にした小説です。明治時代に初期の三角点の設置や三角測量をするためにどのように苦労されたかよくわかります。発見された錫杖と鉄剣は現在、立山町芦峅寺の立山博物館にあります。2009年(平成21)には映画化も予定されています。2004年(平成16)8月に100周年に向けた記念行事の一環として剱岳山頂に三等三角点標石が埋設されました。[山田明:剱岳に三角点を 桂書房 2007]

井出孫六:アトラス伝説  文藝春秋 1981

1974年(昭和49)第72回直木賞受賞作品です。この小説では当時の陸軍省参謀本部の測地課長(これは作者の誤認で八等出仕)であった川上冬崖(1827〜1881かわかみ・とうがい 万之丞、寛ともいいます)が横須賀の地図資料が紛失したことにより静養先の熱海で引責自殺をはかったことから始まります。しかしストーリーの進展では西洋画の中興である冬崖排斥のため陸軍内部の陰謀ではなかったかともとれます。

当時の地図測量は陸軍はフランス式、海軍はイギリス式によって整備がすすめられていましたが陸軍の方がドイツ式に変わろうとしていた時期で山縣有朋など陸軍上層部による川上冬崖はじめフランス式関係者の排斥にも関係していたのではないかとうかがえます。[井出孫六:明治・取材の旅 黄遵憲事件覚書 現代史出版会 1977]

小島烏水著、近藤信行編:日本アルプス  岩波文庫 1992

明治の後期、日本アルプスはまだ正確な地図もなかったのですが、槍ヶ岳はじめ北アルプスや南アルプスの山々を踏破され、ところどころ、できたばかりの三角点に出会ったことが詳しく記述されています。陸地測量部の槍ヶ岳の測量は1902年(明治35)の夏におこなわれていますが著者は、そのさなかに登頂されています。また小島烏水は明治後期に「日本山岳会」の設立に中心的な役割を果たしました。

ウエストン、青木訳:日本アルプスの登山と探検  岩波文庫 1997
ウエストン、水野訳:日本アルプス再訪  平凡社 1996

ウォルター・ウェストン(Walter Weston 1861〜1940)は英国人の宣教師で1888年(明治21)から1894年(明治27)までと1911年(明治44)から1915年(大正4)まで日本に滞在しこの間、日本アルプスの山々を巡りました。紀行文の著作は2冊あり英国で出版されています。穂高岳(現在の前穂高岳)での測量師の滑落事故や南アルプスの三角点について記述があります。[Walter Weston:Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps John Murray,London 1896 京都大学蔵][Walter Weston:The playground of the Far East John Murray,London 1918 大阪府立中央図書館蔵 表紙に日本山岳会の紋章入り]

木暮理太郎:山の憶い出  平凡社(再刷)1999

1941年(昭和16)に初版がでました。山の古典名著です。明治から大正にかけての三角点設置時期だったことにもよりますが、いたるところに三角点が出ています。甲斐駒の三角点で測量作業員が落雷で死亡したことや三角点相互間の連絡のための回光信号の話も少しでてきます。また剱岳で陸地測量部が発見した錫杖と剣(槍の穂先と記述されています)のスケッチもあります。奥秩父や黒部など風景の描写が巧妙です。

武田久吉:明治の山旅  平凡社 1999

著者は駐日英国公使アーネスト・サトウを父として東京で生まれました。早くから植物や登山に関心をもち植物学者としても有名です。本書は1883年(明治16)の誕生から1912年(明治45)の英国留学までの30年間のわが国における植物採集旅行を中心とした記録です。この間、全国で陸地測量部による三角測量が実施され、このとき使用された測量櫓(測標)も本書のところどころに記述されています。また1905年(明治38)の山岳会結成の様子も日本山岳会創立60周年記念講演会の記録として載っていますが、この中で小島烏水の著作「甲斐の白峯」について強烈な批判があります。

井上ひさし:四千万歩の男 忠敬の生き方  講談社 2000

50歳を過ぎてから日本全土を測量した伊能忠敬の文献は数多くありますが、これは気軽な読み物です。この井上ひさしの原作で同じタイトルのテレビドラマが2001年(平成13)の正月にNHKから放映されました。橋爪功の忠敬、風間杜夫の高橋至時、高島礼子の忠敬内縁の妻お栄でした。伊能忠敬については測地学者、大谷亮吉の「伊能忠敬」が伊能研究者の定本となっています。[大谷亮吉:伊能忠敬 岩波書店 1917]

Christopher Monger:THE ENGLISHMAN WHO WENT UP A HILL BUT CAME DOWN A MOUNTAIN  Compass Press 1996

「丘に登り山から降りた英国人」という映画の小説版です。南ウエールズで村人が誇りとしているフュノンガルウ山の標高を測量したところ英国で「山」として地図に載せる基準1000フィートに僅か不足していました。そこで村人たちが、ある策略をこらし「山」として面目を保つことになりました。

測量、地図の解説

寺田寅彦:天災と国防  岩波新書 1938

このなかに「地図を眺めて」という編があり、初期の三角測量について陸地測量部の人たちがどのように苦労されたかがよく書かれています。代表的な高山の三角点の測量年度や測量者も、当時公表が難しかったにかかわらず載せてあります。劔岳が四等三角点として柴崎芳太郎測量手の名前とともに記載されています。また台湾や千島も含まれており興味深いものです。寺田寅彦随筆集には小浅間と題し浅間山の火山観測と水準点について書かれたものがあります。[小宮豊隆:寺田寅彦随筆集 第五巻 小浅間 岩波文庫 1948]

武藤勝彦:地図の話  岩波書店 1942

戦時中、「少国民のために」というシリーズとして岩波から発行されました。測量の歴史、三角測量、水準測量の手順、地図のつくりかたなど非常にわかりやすく解説されています。測量の方法については明治初期から陸地測量部でおこなわれてきた三角測量が説明されていますが、現在はほとんど使われていませんので今後このような解説書は期待できないでしょう。著者の武藤勝彦は初代の国土地理院長をされました。初版は1942年(昭和17)ですが戦後もひきつづき発行されました。右の表紙は1960年(昭和35)版です。

山口 正:山の地形図  宋栄堂 1943

著者は陸地測量部員の陸軍中佐です。青少年向きに陸地測量部の紹介と測量から地形図が完成されるまでの平易な解説ですが第二次大戦のさなかに発行され文章も戦時色の濃いものとなっています。写真も軍服姿の測量官が写っています。

岩波写真文庫:地図の知識  岩波書店 1954

地図の見方や作成過程をすべて写真で解説しています。基線測量、基線尺検定、回照器の使用、三角点測標(やぐら)とその下の標石の位置測量などの写真は現在では珍しいものです。

多摩雪雄:一等三角点のすべて  新ハイキング社 1986

全国の一等三角点の紹介ですが三角点と地図の歴史や永久標石の説明などがあります。基線と増大点の関係、菱形基線測点については全国に存在するすべてが掲載されています。

国土地理院:日本の山岳標高一覧 1003山  日本地図センター 1991

1989年に国土地理院では「山の高さに関する委員会」を設置し山の定義、頂上のとらえ方、山名の取り扱いなどについて検討されました。1003山の標高、緯度経度、三角点のありなし、三角点の等級、都道府県の最高地点などがまとめてあります。

鈴木弘道:山の高さ  日本測量協会 1993

昔から山の高さをどのように測量してきたかを例をあげて説明されていたり三角点の改測や改埋についても詳しく書かれています。著者は元地理調査所(現国土地理院)に測地部長として勤務されていました。ジオイドの概念などがわかりやすく解説されています。

測量の歴史全般

高木菊三郎:日本地圖測量小史  古今書院 1931 大阪市立中央図書館蔵

体系的に整理された測量史としては日本で最も古いものでしょう。近代測量に関しては内務省から陸地測量部へ移管された当時の状況がよくわかります。この本が刊行された昭和初期には五万分の一地形図の作成には測量を含めて一葉につき概算8年間、1万円を要したことが記されています。著者の高木菊三郎は1906年(明治39)に17才で陸地測量部に奉職され1908年(明治41)には日本山岳会に斎藤の旧姓で入会されています。[安川:われわれはなぜ山が好きか ドキュメント「日本アルプス登山」70年史 2000 小学館]、[高木:山岳会と日本アルプス地方三角測量の思い出 「山岳」第58号 日本山岳会 1964]

高木菊三郎:日本に於ける地図測量の発達に関する研究 風間書房 1966 大阪市立中央図書館蔵

地図測量の歴史についての研究論文(著者の学位論文)です。1876年(明治9)ころ内務省が埋設した筑波山や鹿野山の三角点標石には国家的保護を表徴するため銀の十字を象眼したとあるのが注目されます。また、かって日本が係わったアジア各地の国外測量についても載っています。

測量・地図百年史編集委員会:測量・地図百年史 建設省国土地理院 1970

わが国、近代測量の正史です。明治の初期から100年間のできごとと資料が写真とともに詳細に説明してある674頁の大作です。しかし陸地測量部発足以前の測量標石については不明確なことが多いようです。戦争中の疎開や戦後、物資の不足した時代にご苦労されたことも載っています。これにつづく近年の歴史をまとめたものはまだありませんが国土地理院時報の第100集記念特集でかなり知ることができます。[国土地理院:国土地理院時報 第100集 特集:測量事業・技術の変遷 日本測量協会 2003]

山岡光治:訪ねてみたい地図測量史跡  古今書院 1996
山岡光治:地図測量史跡を巡る  リプロ 2000

江戸時代から明治初期にかけて地図、測量に関する人や場所の紹介があります。1件1ページで地図、写真なども多く旅行に行くときなどあらかじめ調べておくと楽しいものです。お墓が多いのが気になります。巻末には各府県ごとの地図測量史跡一覧があります。

小島宗治:測天量地  清和出版 2000

古代から明治初期にいたるまで、わが国の測量について代表する人物や出来事について紹介されています。「測天量地」とは中国にあった熟語で「測天」は天文観測、「量地」は土地測量にあたりますが量地にも経緯度を測るのに測天の技術を用いました。このことから「測量」という、ことばが生まれたようです。江戸時代の1717年(享保2)に刊行された細井広沢の書「秘傳地域圖法大全書」ではじめて「測量」字句がつかわれたことが記述されています。

工部省、開拓使、内務省、農商務省、御料局などの業績 

M.S.デイ:北海道測量報文(エス・デイ・モルレイ報告、北海道三角測量報文)  開拓使 1877

1875年(明治8)から開拓使お雇いとして米国から招聘されたデイ(Murray S. Day)が主となり本格的な三角測量が全北海道にわたって実施されました。基線は勇払の主基線と函館の補助基線が、また三角点は約50点設置されました。この作業による三角網は1876年(明治9)には全道のほぼ5分の2の面積を覆い一応の成果を得ることができ同年デイは報告書「1875年の北海道三角測量」を米国で出版し、開拓長官黒田清隆に報告しています。この報告書が和訳され開拓使から出版されたものです。原書のほかに当時のお雇い米国人測量技術者の報告書があります。[Murray S. Day:Report of the Trigonometrical Survey of the Island of Hokkaido for 1875 Francis Hart & Co.,New York 1876][Horace Capron:Reports and Official Letters to the Kaitakushi Kaitakushi 1875]

内務省地理局:例規類纂  明治17年〜明治21年刊の復刻版 全10巻

復刻版が同題名で 橘書院 1981 などにみられます。内務省地理局の法令集です。内容としては職制、土地の区域、測量、編暦、地籍、地誌、道路、並木、墓地、地租など多岐にわたっています。1876年(明治9)に量地條例綱領が制定され一等大三角測法、二等〜三等三角法、一〜三等高低綱紀測量などが定義されています。

内務省:内務省年報  第一回、第二回年報(明治9年〜明治10年)

復刻版は土橋喬雄:維新産業建設史資料 丸善 1944、明治文献資料刊行会:明治前期産業発達史資料 1967、内務省第一回、第二回年報・報告書 三一書房 1983などがみられます。1874年(明治7)に発足し1817年(明治10)に発展解消した内務省地理寮の活動記録が記載されています。全国の三角測量の開始、神奈川縣下外国人遊歩規程測量、那須基線測量、几号高低測量などの実施概要が記録されています。

内務省:内務卿年報  第四回年報(明治11年〜明治12年)

那須基線について記述があります。

内務省:地理局年報、地理局雑報  第三回、第四回年報、雑報第五號、六號、十號、拾一號、拾二號、拾四號(明治10年〜明治12年)

復刻版は内務省年報・報告書 三一書房 1983などあります。地理局が発足した1817年(明治10)以降の活動記録です。大三角測量、水準測量(几号高低測量)などの実施概要が記録されています。水準測量については各地の実測値も記載されています。なお四、七、九、拾三號には測量に関する主要記事はみあたりません。

二見鏡三郎:本邦三角測量の實況  東京地學協會報告 第四巻 九号 1883

二見鏡三郎の講演記録です。明治初期の欧米での三角測量とわが国の実情について記されています。内務省地理局の測量での苦労が事例をあげ紹介され日本三角測量進程圖が添付されています。

荒井郁之助:日本ノ地學經度  東京地學協會報告 第七巻 一号 1885

荒井郁之助の講演記録です。日本電信經度連結之圖が添付されています。明治中期にはすでに欧州から日本まで電信回線が引かれていたことがわかります。著者の荒井郁之助(1836〜1909)は旧幕臣であって榎本式揚(えのもとたけあき1836〜1908)らとともに函館戦争の指導者でしたが3年の刑ののち開拓使出使になり内務省測量局長、初代気象台長をつとめました。

館潔彦:洋式日本測量野史  「三交會誌」第二十號 陸地測量部 1915

わが国の近代測量の歴史について最も古い文献といえます。元陸地測量師であった館潔彦の原稿を須磨漁史(杉山正治のペンネームか)が陸地測量部の内部誌である三交會誌(二十號から二十二號まで)に載せています。公的な記録ではありませんが、かなり詳しい記述があります。1871(明治4)の一部を引用すると

九月西丸皇居ヲ以テ始メテ測量作業ニ着手ス作業進ムニ従ヒ漸ク玉座ノ御椽ニ近ツキ或ハ宮女室ノ内庭ニ立入等、所有不敬無禮の舉アリシモ當時陋習ノ蝉脱スル際ナルヲ以テ、幸ニ物議ニ上ラザリシ...

とあり当時の測量が重視されていたことがわかります。「三交會」は陸地測量部の研究親睦会で会誌は1913年(大正2)から1923年(大正12)まで発行されました。「三交會」以前には陸地測量部三角科だけの「三五會」というのがあり会誌は「三五會誌」(第1号のみで終刊)、「三五會會報」(月間で75号まで発行)として1902年(明治35)から1912年(明治45)まで発行されています。会名は明治35年の創設と三角科を構成する五班に由来します。また「測図研究會記事」という雑誌もあったようです。これらの雑誌は、すべて陸地測量手であった川北朝鄰(1840〜1919)が発行責任者になっています。川北は旧幕臣で関流(関孝和)和算を引継ぎ維新後は西洋数学書の翻訳なども行いました。[山岡光治:測量・地図人国記 川北朝鄰 「測量」2008.6 p41]

このほか陸地測量部の部内研究会誌としては1943年(昭和18)から1944年(昭和19)まで発行された「地圖」があります。現在は国土地理院の退職者を主とした「三和会」があり毎年、会誌が発行され貴重な論文も掲載されています。

藤井陽一郎:明治初年における北海道の三角測量について  「科学史研究」45号 日本科学史学会 岩波 1958
藤井陽一郎:沼津兵学校とその日本近代測地事業への影響について  同上 51号  1959
藤井陽一郎:工部省測量司による東京府下測量について  同上 54号 1960 
藤井陽一郎:内務省地理局の三角測量事業  同上 70号 1964   

工部省測量司、北海道開拓使から内務省地理局にいたる測量史について多数の測量従事者や文献の紹介があります。

東京都:東京市史稿 市街篇  第52 1962、第67 1975

東京市にかかわる公文書の記録です。第52には工部省測量司の測量標旗、第67には経度起算點、測量點標石の位置や寸法が掲載されています。わたしの住んでいる京都にも測量史跡や古い測量標石がありますので京都府立資料館で「京都府史」や「京都市史」をしらべましたが地理、測量に関する記述はほとんどありません。「京都市史」地図編1947には明治以前のさまざまな京都の地図が見られました。

斎藤、佐藤、師橋:明治初期測量史試論  「地図」15巻3号〜19巻1号 日本国際地図学会 1977〜1981 

明治維新から陸地測量部発足までの測量の歴史が当時の文献を整理し細かく記述されています。単行本ではありませんが、わが国の測量についてもっとも複雑な時期を知ることができる貴重な論文です。

上條武:孤高の道しるべ  銀河書房 1983

著者(1921生まれ)は長年、帝室林野局、営林署に勤務されました。明治時代の森林測量について克明に描かれています。副題の「穂高を初縦走した男と日本アルプス測量登山」にあるように前半は1909年(明治42)穂槍の初縦走をされた鵜殿正雄(1877〜1945)の業績ですが陸地測量部に先行して設置された農商務省山林局の三角点についても述べられています。また後半は元宮内省御料局測量課長の神足勝記(こうたりかつき1854〜1937)の業績で野麦峠での鑷力観測(読みについて著者は「じりょくかんそく」と推察しています。地磁気の測定か)や御料地、御料林(皇室のための収益を生ずる地)の成立についても興味深いものがあります。また御料局の三角点についても「点の記」があることがわかりました。長野営林局所蔵の前岳(仙丈岳)の「点の記」の写真が載っています。著者は陸地測量部の測量に前後して山林局や御料局の測量技術者が森林の調査や境界の確定のため日本アルプス主要部の縦走を行っていた事実が日本の登山史に載っていないことを批判しておられます。

陸軍、陸地測量部の関連

陸軍省:陸軍省第十年報  明治十七年 1884

復刻版は北村:陸軍省年報第3巻 龍渓書舎 1990にあります。参謀本部測量、地図両課から測量局に移行する過程での三角測量成果などがまとめてあります。

陸地測量部:三角測量法式(案)  1901 国立国会図書館蔵

基線測量、三角測量、水準測量について細部にわたり手順が記載されています。現存する測量標石も原則としてこれにもとづき設置されています。この内規が案として発行されてからのち、陸地測量部では1915年(大正4)に「三四等三角測量實行法」が1917年(大正6)に「一等三角測量實行法」が制定されています。

矢島守一:陸地測量部測量事業沿革之概略   「三交會誌」第十六號 陸地測量部 1915

1873年(明治6)から1883(明治16)までの陸軍省における測量事業がまとめてあります。陸地測量部が発足する以前の陸軍における測量の担当は第六局、参謀局、参謀本部測量課などの職制でおこなわれました。

陸地測量部:陸地測量部沿革誌  1922、1931(終編)

陸地測量部の活動が各年、区切ってまとめてあり、測量についてはかなり細かく記載されています。「五等三角点」というのも1899年(明治32)に現れています。終末編に相当するものが1948年(昭和23年)に高木菊三郎により作成されており1929年(昭和4)から1940年(昭和15)までの業績が整理されています。非公式の刊行物とおもわれ発行所も不明ですが京都大学付属図書館にはあります。

陸地測量部:陸地測量部要覧  1926

1888年(明治21)の陸地測量部発足から1926年(大正15年)までの活動がまとめられています。1923年(大正12年)の関東大震災時の活躍も載っています。

陸地測量部:陸地測量部年報抄録  (大正11年〜昭和3年)1930

わが国内地の測量はほとんど終了した状態で記事はほとんど樺太、台湾などの測量記録ですが古い三角点の覘標(やぐら)などの写真は興味深いものです。


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