経緯度原点

地図:東京西南部

地形図をつくるためには測量しょうとする地上に、先ずひとつの出発点を設けなければなりません。この点をの位置は経度と緯度で表され経緯度原点、正確には日本経緯度原点(Geodetic Datum Origin of Japan)といいます。日本の緯度経度の原点になるところです。原点といっても緯度、経度ともゼロの座標ではありません。

地点:
東京都港区麻布台2−18−1日本経緯度原点金属標の十字の交点

経緯度(世界測地系):
東経139°44′28″8759
北緯 35°39′29″1572 

原点方位角:
32°20′44″756
(うえの地点において真北を基準として右回りに測定したつくば市の国土地理院内にある超長基線電波干渉計VLBI観測点金属標の十字の交点の方位角)

これが測量法第11条(測量の基準)と同施行令第2条(日本経緯度原点及び日本水準原点)で定められた日本の緯度、経度の原点です。ここには明治初期から関東大震災まで海軍観象台のちに東京天文台があり天文観測により経緯度がを定められ1892年(明治25)に日本経緯度原点とされました。

原点は屋外にあり、いつでもだれでも見ることができます。地下鉄神谷町で下車すると桜田通に出ます。東京タワーを左に見ながら南へすすみ狸穴交差点から右へ広い坂をすこし上がると左にロシア大使館が見えます。大使館の東南の角の道を南に入ります。まもなく突き当たりになりますが、その右側が原点で標識がありますからすぐにわかります。また道の左には中央官庁合同会議所という建物があり構内の前庭のマウンド上のマンホールに東京(大正)という一等三角点があります。このあたりは昼間から無数の黒い野良猫が徘徊しており不気味です。

経緯度原点決定の歴史はまず1874年(明治7)金星太陽面通過観測のため日本に滞在した米国隊のダビッドソン(George Davidson)とチットマン(O.H.Tittman)によって長崎・東京間の経度差観測を天測により実施されました。これはわが国の要請によるもので、その結果海軍観象台にあった天測点(現在の日本経緯度原点の近傍)にチットマン点が設定されました。1881年(明治14)には米海軍のグリーン、ノリス、デイビスが長崎の経度を精確に再測しノリス天測点を設定しさらに横浜の経度を求めデイビス天測点としました。当時、横浜の経度は第二子午線と呼ばれていました。[内務省:内務省年報 明治十四年報告書(復刻版 三一書房 1984 p9)]

海軍水路部では、これらの経度からチットマン点を再測し1886年(明治19)に海軍観象台の経度として告示しました。1892年(明治25)に経緯度原点とされた位置は再測されたチットマン点を陸地測量部により東京天文台の子午環中心に移したものになっています。また緯度については1876年(明治9)肝付兼行(きもつき・かねゆき、本姓大伴 1853〜1922)海軍中尉が海軍観象台で天文緯度を観測し肝付点が設定されこれを子午環中心に移したものを原点緯度としました。肝付は鹿児島県出身で薩摩藩家老であった小松帯刀(こまつ・たてわき 1835〜1870)の甥にあたり、のち海軍中将、水路部長に、また1913(大正2)には大阪市長もしました。なお子午環は天体の位置を環状の目盛盤で読み取る観測用器械で1880年(明治13)にドイツから輸入したレプソルド社製(A.Repsold & Sohne、Sohneのoにはウムラウト付き)です。

日本経緯度原点の設定後、1915年(大正4)から1917年(大正6)にかけて海軍水路部が地球の東西方向にまわる電信経路を設定し中野徳郎(1874〜1932)による経度観測(時刻測定)が行われ、1918年(大正7)には原点の経度が変更になり、日本全国の経度は一斉に10.405秒動くことになりました。当時以降の地形図の図郭線(四隅)の数値に10.4秒の端数が長い間ついていました。

1923年(大正12)の関東大震災の際には子午環が破壊されその中心位置も移動しましたが経緯度の変更は行われませんでした。(原点の経緯度の値は元のままでした。)現在の原点数値の示す位置は記念碑中央の丸い金属標の中心ですが子午環のあった元位置より北西1メートルのところに相当します。なお標高値は26.79メートルです。

原点で緯度経度がはっきりしただけではどの方向が真北(磁石の指す磁北ではありません)なのか定まりません。紙に地図を描いて原点を押ピンでとめたのと同じことで紙はぐるぐる回り方向がわかりません。そこで原点方位角をきめます。三角網中の各三角点の位置をきめるために原点からほかの1点(1点だけでよい)への方位があたえられていなければならないからです。原点から千葉県鹿野山の一等三角点「鹿野山」5239−77−0601への方位角は1883年(明治16)に矢島守一陸地測量師により観測されています。関東大震災後にも経緯度は変更されなかったのですが、この原点方位角は156度25分30.156秒から156度25分28.442秒に変更されました。

二万五千分の一の地形図「東京西南部」には日本経緯度原点の表示がありますが三角点の記号はありません。原点は三角点とはいいませんが三角点と同様に国土地理院の点の記(基準点コード:5339−35−8902)があります。また原点とはべつに隣接して一等三角点があり初期の点の記によれば点名は「東京」で1883年(明治16)に三原昌陸地測量師により選定され翌1884年(明治17)に矢島守一陸地測量師が標石を埋定しましたが1892年(明治25)に撤去され現在は廃点になっています。関東大震災後には原点からすこし離れて一等三角点「東京(大正)」5339−35−8901が設置されています。

日本の三角網は、この東京原点から出発して全国に広がりました。朝鮮半島の三角点も東京系の座標になっています。しかし旧満州(中国東北部)は1933年(昭和8)に日本の手で新京(長春)郊外の歓喜嶺に原点(新京原点)がおかれ三角測量がおこなわれました。当然、双方の経緯度の差がでてしまい国境の鴨緑江の川幅が実際より数百メートル広がってしまったそうです。[鈴木弘道:山の高さ 日本測量協会 1993 p242]

「理科年表」に記載されている各地の太陽、月の出入、南中の時刻などは経緯度原点である旧東京天文台子午環の中心点ではなくて「子午環」のちかくにあった「大子午儀」の中心が原点になっています。大子午儀も1881年(明治14)にドイツから輸入したレプソルド社製で現在は三鷹の国立天文台で保存されています。もとの大子午儀跡は標識もなく計算上の点として残されているのですが、この位置を東京の代表地点として太陽、月の出入などが計算されます。両者の原点は経度0.5秒、緯度1.5秒の差があり東西に約10メートル、南北に約45メートル離れたところに子午儀と子午環という2種類の観測機器があったことになります。「子午儀」は天体の子午線通過の時刻を調べるために南北方向に正確に固定された望遠鏡であり「子午環」は子午儀に目標とする天体の高度角を測定する機能を付加した望遠鏡で経緯度測定に使用されます。[国立天文台:理科年表、暦部 丸善 1996 p3][海上保安庁水路部:日本水路史 日本水路協会 1971 p49]

2001年(平成13)の測量法の改正にともない日本経緯度原点の位置は不変ですが経緯度表示が変更になりました。従来の天文測量によって求められた天文経緯度の座標とは切り離されました。 原点方位角も以前の千葉県鹿野山の一等三角点から、つくば市の国土地理院内VLBI観測点への方位に変更されました。VLBIは超長基線電波干渉計のことでVLBI観測の成果が世界測地系への移行の際の基礎データになったためです。原理的にはどこでもよい訳ですが鹿野山よりも地殻変動が少ないことや観測するうえで便利であることもあげられます。また方位角は日本経緯度原点とVLBI観測点の双方をGPSで観測を行い得られた座標から求めています。

日本経緯度原点数値の変更
  旧測量法 新測量法 差 新−旧
経度 東経 139°44′40″5020 139°44′28″8759 -11″6261
緯度 北緯 35°39′17″5148 35°39′29″1572 +11″6424


日本経緯度原点の現地の説明板などが2001年(平成13)に再整備されましたが、その機会に原点に異常があり復元を必要とするような事態にそなえて「引照点」が3点設置されました。いずれも原点から数メートルの距離で地中金属枡のなかにあり直径5センチメートルの金属標です。

いままで日本経緯度原点について説明しましたが位置をあらわす原点として平面直角座標系原点というのもあります。地球上にある点の水平位置は楕円体上の経緯度によって表されるのですが楕円体のような曲面でなく位置を平面上に投影して測量計算を行っても範囲が狭い場合には問題はありません。これを平面直角座標系といいますが、わが国ではガウス・クリューゲルの等角投影法といわれる手法によるもので座標原点を通る子午線は等長に図形は等角の相似形に投影されます。しかし距離については原点から東西に離れるに従って平面距離が増大していくため投影距離の誤差を相対的に一万分の一以内におさめるよう座標原点に縮尺係数0.9999を与え(東西方向に90キロメートル離れた位置では1.0000、130キロメートルでは1.0001)かつ座標原点より東西130キロメートル以内を適用範囲とした座標系を設けています。球面距離×縮尺係数=平面距離 になります。

平面直角座標系は全国を19の座標系に区分しています。座標系のX軸は原点で子午線に一致する軸とし真北に向かう値を正とします。Y軸は原点でX軸に直交する軸とし真東に向かう値を正とします。また各座標系原点の値はX=Y=0メートルになっています。これは測量法にもとづく国土交通省の告示できまっています。

たとえば、わたしの住んでいる京都府(大阪府など7府県ともおなじ)であれば座標系番号Yで東経136度0分0秒、北緯36度0分0秒が原点になっています。この位置は越前水仙で有名な福井県越廼村(こしのむら)の山中になりますが平面直角座標系原点は図面上のみ示されるので現場には標石などの目印はありません。京都、滋賀府県境の一等三角点「比叡山」5235−46−7601の場合、座標はX=−103623.56メートル、Y=−15099.234メートル、縮尺係数=0.999903になります。

地方自治体などで平面直角座標系で作成する大縮尺(二千五百分の一程度)で範囲の狭い地図では左右の図郭線方向が真北とずれてきます。これは「座標北」とか「原点方位の北」、「方眼北」といい平面直角座標の縦軸の線になります。

明治末期にも平面直角座標系は採用されていたようで平面直角縦横線と呼ばれ、その原点は東京天文台の位置である東部原点と広島県(安芸國佐伯郡吉和村、現廿日市市)一等三角点「冠山」5132−50−5601の位置に西部原点があり緯度はどちらもほぼ同じ値で東経135度を境にして東部、西部に分けていました。その後、北海道に北部原点、沖縄に南部原点が設定されました。[陸地測量部:三角測量法式草案 1901 p139]

なお、ガウス・クリューゲルの等角投影法はわが国の地形図に使用されているユニバーサル横メルカトル図法( UTM=Universal Transverse Mercator's Projection System)にも適用されています。メルカトル図法の投影面である赤道に接する円筒を地球にたいして横に置いて地表を投影した図法です。


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