水準原点と験潮場
日本水準原点

地図:東京首部

日本の標高は東京湾の平均海面を基準として標高ゼロメートルと決まっていますが水準原点は東京湾にあるのではなく湾岸より地盤のよい国会議事堂前の憲政記念館(東京都千代田区永田町1−1)の庭にあります。むかしは井伊大老の屋敷、もっとむかしは加藤清正の江戸屋敷があり明治中期になってから参謀本部陸地測量部の建物ができました。麻布の日本経緯度原点が屋外にあるのにたいして1891年(明治24)に建てられた工部大学第一期生の佐立(さたち)七次郎の設計による立派な石造の建物があり東京都指定有形文化財にもなっています。

菊のご紋章の入った正面扉の上には凝った文字で「水準原點」(右書き)さらに軒下には菊のご紋章と「大日本帝国」(右書き)と刻字されています。今なお使用されている国家の建造物でまだ大日本帝国と表示されているのは、これ以外にはないでしょう。扉には鍵がかかっているので普段は内部を見ることができませんが国土地理院が毎年「測量の日」(6月3日)の行事として公開をしています。公開日は平日のため多少ずれます。

建物の内部は最上部に小豆島産の花崗岩でつくられた厚さ45センチメートルの船形台石、その下に厚さ36センチメートルの正八角形台石、さらにその下は約10メートル深さの基礎になって地中にはいりこんでいます。

最上部の船形台石の正面には原点標石となる厚さ6センチメートル、高さ25センチメートルの山梨産の水晶板が垂直に埋め込んであります。この水晶板の目盛はゼロを基準として上下10センチメートルずつミリメートル単位で赤い目盛がついています。この目盛は長年の間に不鮮明になってきたため1991年(平成3)日本水準原点100周年の際、補修されました。

水準点は目盛ゼロの線(法令では零分画線の中点)が基準となりますが標高ゼロでなく24.4140メートルあります。日本水準原点の地点と原点数値は日本経緯度原点とおなじく測量法第11条(測量の基準)と同施行令第2条(日本経緯度原点及び日本水準原点)で定められています。

この原点の高さは当時東京湾に面していた荒川河口、霊岸島での潮位から定めた東京湾平均海面をゼロメートルとして精密水準測量の結果から日本水準原点の零目盛りが24.5000メートルになるように作られました。原点建物の竣工が1891年(明治24)5月と24.5メートルは偶然の一致ではないようです。その後1923年(大正12)9月1日の関東大地震の影響で変動し1928年(昭和3)に現在の値に改訂されました。[陸地測量部:陸地測量部沿革史 終篇 1930 p42−43 (昭和3年の事績)][西田文雄:日本水準原点を設計した佐立七次郎 「国土地理院広報」2008.2 p8]

写真の切手は1991年(平成3)に発行された日本水準原点100周年記念のものです。水準原点の建屋と水準儀が描かれています。切手に描かれている水準儀はカールバンベルヒ一等水準儀(経緯儀ではありません)ですが実物は現在国土地理院にもなく国立科学博物館に残されているそうです。地図を描いた切手は内外に多くありますが、測量機器を描いたものは中国に少しあるだけで、ほかには気がつきません。

霊岸島水位観測所

地図:東京首部

荒川河口にあたる霊岸島の量水標は1873年(明治6)に北緯35度40分09秒、東経139度47分16秒(日本測地系)の位置にオランダからのお雇い外国人の指導により設けられました。現在の中央区新川二丁目中央大橋下流右岸にあたります。最低潮面をA.P(Arakawa Pile)としました。量水標は量潮尺とも呼ばれました。

しかし陸地測量の基準としてはこれと異なり1873年(明治6)6月から1879年(明治12)12月までの毎日(一時期欠測あり)の満干潮位を測定、平均値を算出し量水(水位)標の読みで1.1344メートルが東京湾平均(中等)海面T.P(Tokyo Pile)となり、この位置をゼロメートルとして全国の標高の基準と定めました。かっては、この位置で2.62メートル(T.P)の高さに内務省地理局の水準標石があり水準点を表す不の字(几号)が刻印されていました。[測量・地図百年史編集委員会:測量・地図百年史 日本測量協会 1970 p169−173]

量水標の位置は1994年(平成6)5月に隅田川護岸工事の影響で36メートル下流に移設されました。写真の三角形のフレームは現在の位置で標尺と自記記録室があります。フレームのパイプの一辺の長さはこの位置の経度にちなみ13.947メートルになっています。経度と潮位は関係ないと思うのですが。またこの量水標のすこし上流には元位置を示す標尺の形をしたモニュメントがあります。現在の水位観測所は国土交通省荒川下流工事事務所の所管になっています。水準原点とは関係ありません。

験潮場

地図:酒田北部、三浦三崎、海南

海水面の観測をすることを験潮といいます。験潮場は外海に接し風波の影響が少なく岩礁や人工岸壁など地盤が強固な位置に設置されます。国土地理院所管の「験潮場」は全国に28ヶ所あり右の写真は上から1995年(平成7)設置、酒田市の飛島験潮場、1894年(明治27)設置、三浦市の油壺験潮場の旧建屋と1953年(昭和28)に設置、海南市の海南験潮場です。油壺験潮場の旧建屋の海側(写真では見えない位置)には石柱が立っており縦に刻まれた溝に木製の標尺がはめ込まれ量水標とされたようです。

験潮の役目は各地の平均海面を決定することですが海岸の隆起、沈降を検出して地震予知にも役立っています。そのほか気象庁が津波や高潮などの観測するための「検潮所」、海上保安庁が船の水路を確保するために潮位を観測するための「験潮所」などの設備もあり所管がかわれば「験潮場」「検潮所」「験潮所」など呼称もまちまちです。そのほか国土交通省港湾局や都道府県でも独自に観測所があります。

験潮場は1872年(明治5)民部省が利根川河口に銚子量水標を設置し翌年、隅田川河口の霊岸島、1874年(明治7)には江戸川河口の堀江に設置されました。陸地測量部の発足後、1891年(明治24)以降は高神(千葉)、鮎川(宮城)、串本(和歌山)、細島(宮崎)、深掘(長崎)、外浦(島根)、輪島(石川)、岩崎(青森)、小樽(北海道のちに忍路)、花咲(北海道)の10ヶ所に設置されました。後年、海洋気象台に移管されたものもあります。霊岸島量水標の潮位記録は「水準原点」を建設した際には東京湾における平均海面を示しましたが淡水の影響などあり理想的ではなく1894年(明治27)に千葉県高神村(犬吠崎南方)から移設された油壺験潮場の潮位記録で水準原点の高さを検証することになりました。国土地理院では油壺と水準原点との間を隔年ごとに一等水準測量を行っています。[測量・地図百年史編集委員会:測量・地図百年史 日本測量協会 1970 p173]

験潮儀

験潮場は断面80センチメートル四方、深さ大干潮面下1メートルの井戸を掘り井戸底の上部30センチメートルの位置に外海に通ずる導水管を設け井戸内の水面を験潮儀で連続して測定します。験潮場内に設置した標高が決められている固定点を基準として測っています。べつに験潮場の近傍には附属水準点を埋設します。

験潮儀は「浮き」を用いるものと水圧を利用するものがあります。写真はいずれも「浮き」を滑車にかけ他端に錘をつるし海面の変化にともなう「浮き」の昇降を自記記録します。ケルビン型験潮儀は1956年(昭和31)から使用されていましたが1966年(昭和41)からGSI型験潮儀に置き換わっています。[測量・地図百年史編集委員会:測量・地図百年史 日本測量協会 1970 p100]

気象庁の検潮所

気象庁の検潮所は全国で70数箇所あります。たまたま見かけたものを紹介します。気象庁の検潮所は無人ですがデータはリアルタイムで伝送され公表されていることが多いようです。

西郷検潮所

地図:西郷

定期船船着場から北西へ橋を渡ると港町に入ります。西郷湾に面した漁港になっておりほぼ中央の通路東側に松江地方気象台(元は西郷測候所)が管理する西郷検潮所の建屋があります。標札は海と反対側にあるので気づかずに通り過ぎてしまいそうです。無人ですがリアルタイムでデータの伝送はやっています。

この建屋の北にある空き地の草むらのなかに固定水準点があり「気象標石 1982年7月 西郷測候所」と刻字された29センチメートル角のコンクリート蓋を開けると水準標石が見られます。一辺15センチメートル角、球分体は直径5センチメートルで花崗岩製です。

境検潮所

地図:境港

JR境港から「水木しげるロード」をへて東にすすむと木造の古い灯台が残置されている台場公園に入ります。そのすぐ海側の角に鳥取地方気象台が管理する境検潮所が見られます。海中に張り出している典型的な検潮所です。

検潮所から南東へ30メートルの草むらに「昭和62年3月 水準標石 気象庁」と貼り札のあるフェンスで囲まれた水準点があります。コンクリートの蓋石は見えましたが立ち入り禁止になっていました。このすぐ東隣、フェンスの外には国土地理院の二等水準点265号がありました。


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