明治以降の測量
沼津兵学校の測量教育

地図:沼津

沼津兵学校は1868年(明治1)に駿府藩(徳川家が維新後、移封され成立した藩、のち静岡藩と改称)によって設立された陸軍士官の養成学校です。頭取(校長)は西周(にし・あまね 1829〜1897 津和野藩出身 思想家)で教授陣のなかには一等教授方として長崎の海軍伝習所出身の伴鉄太郎(〜1902)、赤松則良(1840〜1920)、絵図方として蕃書調所出身の川上冬崖(1827〜1871)など40人程度で生徒は「資業生」と呼ばれ同校消滅までに200人以上が在籍していました。学科には数学の一教科として実地測量があり測量技術者集団が育ちのち陸軍、内務省、農商務省、開拓使などで活躍しています。測量技術者としては大川通久(2期)、早川省義(4期)、奈佐栄(5期)、水野秋尾(7期)、関大之(兵学校附属小学校教授方)などが挙げられます。また琵琶湖疏水の土木技師として有名な田辺朔郎(1861〜1944)も兵学校附属小学校の出身です。沼津兵学校は1871年(明治4)新政府に移管され東京の陸軍兵学寮に合併されました。[樋口雄彦:測量技師になった沼津兵学校出身者 沼津市明治史料館通信 通巻第76号 2004 p2][藤井陽一郎:沼津兵学校とその日本近代測地事業への影響について 「科学史研究」51 日本科学史学会 岩波書店 1959 p1]

資業生であった大川通久(1847〜1897)は内務省地理局の測量技手として東京・塩竃間の水準測量にも従事しています。大川が出張の際、護身用に所持した拳銃(ベルギー、マングロー社製カメロット・レボルバー 使用認可番号「九年一六四六東京府」の刻字あり)が沼津市西能堂の沼津市明治史料館で展示されています。またJR沼津の駅前、さんさん通りの東にある城岡神社境内の沼津兵学校記念碑は1895年(明治28)に立てられたものを1991年(平成3)復刻されましたが篆額は徳川家達(とくがわ・いえさと 1863〜1940 徳川宗家16代当主)、兵学校由来の説明文は中根香亭(〜1913 元兵学校三等教授)、書は大川通久によるものです。


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